2019年3月3日のメッセージ

使徒行伝第27章13節~26節および39節~44節

時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した。すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた。それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけた。また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、帆をおろして流れるままにした。わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、三日目には、船具までも、てずから投げすてた。幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。

みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。

 

夜が明けて、どこの土地かよくわからなかったが、砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに舟を乗り入れようということになった。そこで、いかりを切り離して海に捨て、同時にかじの綱をゆるめ、風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んだ。ところが、潮流の流れ合う所に突き進んだため、舟を浅瀬に乗りあげてしまって、へさきがめり込んで動かなくなり、ともの方は激浪のためにこわされた。兵卒たちは、囚人らが泳いで逃げるおそれがあるので、殺してしまおうと図ったが、百卒長は、パウロを救いたいと思うところから、その意図をしりぞけ、泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、その他の者は、板や舟の破片に乗って行くように命じた。こうして、全部の者が上陸して救われたのであった。

 

「嵐の中で」

 

1. パウロの逮捕

パウロの一行は、第3回の伝道旅行を終え、エルサレム教会を訪問し、温かく迎えられましたが、迫害の手が弱まることはありませんでした。アジアから来たユダヤ人たちの襲われ、殺されそうになりますが、ローマ軍守備隊の司令官である千人隊長の機敏な処置によって命拾いします。

しかし、パウロの弁明は、ユダヤ人のさらなる憤りを呼び起こします。生まれながらにローマの市民権をパウロがもっていることを知った千人隊長は、パウロを逮捕し、その保護の下にカイザリヤに移送し、そこでパウロは裁判を受けます。

パウロはカイザリヤで2年間過ごし、その間にペリクスによる裁判、フェストによる裁判、アグリッパ王における審問を受けます。

ペリクスは、ローマ政府から遣わされた総督であり、フェストは2年後にペリクスに代わって遣わされた新任の総督です。パウロは、フェストによる裁判の席上、カイザルに上訴し、裁判は打ち切られます。

そして、ローマ政府の保護の下に、いよいよローマ行きが実現することになります。

文化と政治の中心である世界の首都ローマにおいて、福音を証しすることと、ローマにいる同信の友たちと信仰による交わりをすることは、パウロが長い間強く願っていたことでした。それは、単にパウロ一人の夢であるだけでなく、世界宣教における神の御計画でもありました。しかし、その道のりはなお遠く、険しいものでした。

 

2. ローマへの旅・遭難

パウロのローマ行きは船の旅です。

パウロの護送が決定されると、彼と他の数人の囚人は、ユリアスという近衛隊の百人隊長に引き渡されました。ローマ皇帝直属の部隊の百人隊長ユリアスは、パウロに対して儀礼以上に好意的で空いた。

途中、ミラという港でアレキサンドリア行きの船に乗り換えます。この船は、たくさんの穀物や、276人もの乗船者を運べる大きな船です。この時期は、西風が吹く時期で、風を避けて「良い港」と呼ばれる小さな港にようやく着いた時は、9月の終わりから10月にかけての頃で、地中海は危険な時期でした。

船旅をするには11月以降は最も悪い時期だったのです。

そんな時にクレテ島を出発しようということになったので、パウロは黙っておられず、「皆さん、この航海では積み荷や船体ばかりでなく、我々の生命にも危害と大きな損失が及びますよ(10節)」と警告しました。でも、百人隊長ユリアスは、航海士や船長の言うことの方を信用してしまいました。折りからちょうど、南風が吹いてきたので、チャンスとばかり、錨を上げて船出したのです。

パウロの意見は無視されてしまいましたが、まもなくその心配は的中しました。突然、何の前兆もなしにユーラクロンと呼ばれる暴風が襲ってきたのです(14節)。

船はこの風に苦しめられます。

クレテ島の海抜2,000 mを超す山々から吹き降ろす突風は、翌日になっても収まらず、小麦以外の積み荷を捨て、三日目には自分の手で船具までも捨て、流れに任せるしかありませんでした。それでも事態は好転しません。

幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、私たちの助かる最後の望みもなくなった。(20節)というのです。当時の航海術は今日のように機器が揃っているわけではないので、太陽や星を頼りに航海するものでした。その肝腎の太陽や星が全く見えないのでは、船の進路もつかめず、ただどこかの陸地に打ち上げられるのをじっと待つしかありません。状況は絶望的でした。

そんなときこそ、パウロの出番です。食事も喉を通らないほど失望している乗船者の前で、「皆さん、あなたがたがわたしの忠告を聞き入れて、クレテから出なかったら、このような危害や損失をこうむらなくてすんだはずであった。だが、この際お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。」(21~22節)と言って、皆を励ましました。

どうして彼はそのようなことが言えたのでしょうか。それは、前の晩に、「パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。確かに神はあなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜っている。(24節)という主の御言葉があったからです。

実は、パウロも恐れていたのではないでしょうか。だから、「パウロよ、恐れるな。」という神の励ましが必要でした。そして、「あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない」という約束の言葉は、どんなにパウロを勇気づけたことでしょう。また、同船している人たちにとっても、パウロが乗り合わせていたことは本当に幸いなことでした。

 

3. 嵐の中で

私たちも生きていく上で、ユーラクロンのような突風に遭うことがしばしばあります。そのために、どうしたらよいか分からなくなるような絶望的な窮地に追い込まれることもあります。

それが人生であり、現実の社会です。

しかし、そういう状況の中で、ただ失望に陥っているのではなく、そのただ中で立ち上がり、失意と落胆、不安と恐怖に同じようにおののいている他の人を力づけることができたらと思います。それがこの世に生かされているクリスチャンの使命なのかもしれません。

パウロは何の根拠もなしに人々を励ましたのではありません。それは、「万事はわたしに告げられたとおりになっていくと、わたしは神かけて信じている。」(25節)という確信に基くものでした。

私たちにとって重要なのは、どのような状況に置かれても、天の声に聞こうとする姿勢と、神の御言葉を信じて情況に左右されない、不動の信仰に立つことです。

さらに、パウロが強く確信することができたのは、大丈夫だと保証してくださる神が、「わたしが仕え、また拝んでいる神」(23節)だからです。ふだん「仕えて」いなかったら、いざというとき、神の保証を信じることは難しいことです。

こうして、パウロは神の御言葉に信頼することができたので、「われわれは、どこかの島に打ち上げられるに相違ない。」(26節)と宣言できたのです。

真実に神に仕えている一人の人が真に使命を遂行しようとして信仰に立つとき、その周りの人まで救いの恵みにあずかることができるようになることを、この出来事は私たちに教えています。

 

4. 救出

船は、もはや一人の力でコントロールできず、ただアドリア海を漂い続けていました。暴風が起こってから14日目の夜、水夫たちはようやく船が陸地に近づいたことを感じ、錨を下しました。

ところが、水夫たちがこっそり小舟を海に下して逃げ出そうとします。パウロはそれを見破り、小舟をつないだ綱を切り、水夫たちの逃亡を防ぎました。

夜が明け、パウロは一同の者に食事を勧めます。この辺から、船の指揮者はパウロに移っていきました。そして、「たしかに、髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から失われることはないであろう」(34節)と言って、全員が助かることを確約します。

そして、食事をし、人々にも勧め、どんなことにでも対処できるよう、十分備えておくべきことを示しました。

神の約束を信じて生きるというのは、今置かれている生活を最善に生きることです。パウロが食べることによって、一同も元気づけられ、食事をとりました(36節)。十分食事をしてから、船荷の穀物を海に投げ捨てて、船を軽くしました。

すっかり夜が明けて、陸地が見え始め、入り江に向かって進みましたが、船は浅瀬に乗り上げ、座礁してしまいました。

千首がめり込んで、船尾の方は壊れ始めました。

ここで慌てたのは兵士たちです。囚人がこのどさくさに紛れて逃げ出すのではないか、いっそ彼らを殺してしまおうと相談します。しかし、百人隊長ユリアスはそれをやめさせました。ユリアスは、パウロがローマ市民であり、カイザルに上訴するためにローマに行こうとしているのを知っていたので、特別に保護する責任を感じていたのでしょう。

神が、このユリアスの心に働いてくださり、他の囚人たちも助けられ、奇跡的に全員が無事に陸に上がったのです。

こうして神の約束は成就しました。

 

一人の敬虔な神の人が同船しているというのは、何と幸運なことでしょう。

私たちもまた、ノアの方舟ならぬキリストの方舟に同船させてもらって今日があります。

沈没しそうな状況の中にあっても、救われた私たちの存在は決して小さくはありません。

神は、ソドム・ゴモラほど罪に満ちた街でも、もし10人の正しい人がいるなら、その10人の為に街を救おうといわれるお方なのですから(創世記第18章22節~32節)。

 

結び:人生の海の嵐に

新聖歌に、

「人生の海のあらしに、もまれきしこの身も

不思議なる神の手により、生命びろいしぬ

いと静けき みなとにつき 我は今安ろう

すくい主イエスの手にある 身はいともやすし」

という讃美歌があります。

私の実家は、ゼロメートル地帯と言われた東京の深川です。台風が来ると、堤防が決壊し、よく水が出ました。父は腰まで水につかって、私と弟を背中に負い、家族と共に高台に避難し、私たちを守ってくれたことを思い出します。

成長と共にさまざまな人生の海の嵐に遭遇しました。

受験の失敗、失恋、思いがけない怪我、子供の問題…そして昨年は夫の召天。

そうした人生の海の嵐の中でも、神様が共にいて助け、支えてくださいました。実に不思議な神の御手によって助けられて今日在ります。

 

この地に生きる限り、どんな人生の海の嵐がやってくるか分かりません。しかし、その只中に主は共にいて、「恐れるな」と言ってくださり、嵐の中を共に生きてくださり、やがていと静けき港である天の御国に導いてくださることを信じ、一日一日を大切に生きていきましょう。そして、嵐の中で苦しんでいる隣人がいたら、その人と共に嵐を通過していく者にさせていただきましょう。