2019年1月13日のメッセージ(音声視聴できます)

使徒行伝第18章1節~11節

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。

シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言を彼らの間に教えつづけた。

 

「思いを超えた神のわざ」

 

1. パウロのコリント伝道

クリスチャンは聖書を土台として生きています。聖書の中にはたくさんの人物が登場します。そして、その一人一人の生き方を通して、私たちがどう生きるのかを教えています。

今回、登場するのはパウロです。

パウロは、ユダヤ人で、熱心なユダヤ教の信者でした。キリスト教に大反対でクリスチャンを迫害し、捕まえては次々と投獄していた人物です。

しかし、ある日、復活したイエス様と出会って一変し、熱心なクリスチャンになりました。そして、イエス様が本当の救い主であることを伝えるため、伝道に励みました。世界中の人にイエス・キリストを伝えたいという熱い心をもって伝道旅行に出かけ、困難に立ち向かいながら、命がけで次々と教会を生み出していきました。

今回は、このパウロが2回目の伝道旅行で、コリントという町に出かけて伝道したお話です。コリントではどのようなことがあったのでしょうか。

コリントは当時、「ギリシヤの星」を自負していた一大商業都市でした。東西に広がる海路と南北に延びる陸路が交わる地にあったので、通商・交通の要所として大変栄えていました。このため、いろいろな人種が交ざり合い、東西の文化と宗教がこの地に持ち込まれました。

アクロポリスの丘には、愛の女神アフロディテの大神殿が建ち、千人の巫女が宮仕えをしていました。彼女たちは、女神にささげられた売春婦であり、夜ともなると、丘を下り、コリントの街々で商売に励んだということです。

旅行者の多いコリントの市中には、遊蕩気分がみなぎり、風紀も乱れがちで、「コリント風に振る舞う」というのは不品行を意味していたほどでした。しかし、パウロが、活気あふれるコリントの町を、この地域全体の伝道拠点として考えていたことは容易に想像できます。

 

2. アクラとプリスキラとの出会い

しかし、コリントに着いて、エロ、グロ、ナンセンスを包み込んでいる都会の光景を目の当たりにして、パウロの心は恐れと不安を感じていました。コリントの前に伝道したアテネでの成果が、彼にとってあまりよくなかったからです。

そんな時、良き助け手となるクリスチャン夫婦と巡り合います。その夫婦の名はアクラとプリスキラです。アクラとプリスキラは、クラウデオ帝のユダヤ人迫害から逃れるため、ローマからコリントに来ていました。夫婦は天幕作りを職業としていました。パウロも、コリントに来て、宣教の働きをするため、天幕作りをしていました。アテネの風習では、終日論じあっていることが合っていましたが、商業の町コリントでは、働きながら伝道するのがふさわしかったのでしょう。パウロはアクラ夫妻と同業者というよしみで知り合うことになりました。また、既に一家を構えていたアクラは、パウロの雇用主だったとも考えられます。いずれにせよ、天幕作りという職業つながりで、パウロは一生の信仰の友、、伝道の協力者を見出すことになりました。

ここにも、無駄のない神様の御手の導きがあります。

 

こうして、コリントの町で思いがけない協力者を得たパウロは、住居と経済生活を確立したところで、いつものようにユダヤ人の会堂に出かけていき、安息日ごとに論じてユダヤ人やギリシヤ人たちへの伝道を開始しました。そこへ、シラスとテモテがマケドニヤから到着し、ここでベレヤ以来初めて3人が顔を揃えました。

シラスとテモテは、ピリピ教会を初めとするマケドニヤの諸教会からの献金を持ってきたようです(ピリピ4:15)。そのため、彼らが来てからは、パウロは御言葉を教えることに専念できる身となりました。パウロの積極的な伝道に対して、ここでもユダヤ人たちの激しい反抗が起こりました。

そこでパウロは、テテオ・ユストというローマ人の家に行きます。その家は会堂の隣にありました。やがて、隣の会堂管理者クリスポが、家族一同でキリストを信じました。また、コリント人の中からも多くの信じる者が起こり、洗礼を受けたのです。

反抗が返って次の伝道を促進することになるという意外性に驚かされます。

 

3. 思いを超えた神のわざ

しかし、伝道が生易しいものではないということを、パウロは自覚していました。異邦人が救われ、クリスチャンが増えると、再びユダヤ人たちの迫害が起こる。ここに腰を落ち着けて伝道して良いものかどうか、パウロは躊躇しました。

そんなある夜、神がパウロに幻によって語られました。

「恐れるな。語りつづけよ。黙っているな。あなたにはわたしがついている。だれもあなたをおそって危害を加えるようなことはない。この町にはわたしの民が多ぜいいる。」(9~10節)

恐れと迷いが渦巻くパウロの心の中に、神様が語りかけます。恐れないでいいよ。なぜなら、わたしがついてるじゃないか。わたしがいっしょにいるからとおっしゃってくださいました。

神は、ただ「がんばって」と声をかけるだけではなく、一緒にいてくださるお方です。

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいるのである。」(マタイ28:20)

と約束されました。主の命令に従って出ていく者たちへの約束です。主はいつも主のために働き、伝道する者とともにおられるお方です。

そして、守ってくださるお方です。

「だれもあなたをおそって、危害を加えるようなことはない。」

人は誰でも、危害を加えられることを恐れます。しかし、主は、誰も危害を加える者はないとパウロに約束されたのです。

 

「だから、語りつづけよ。黙っているな。」なぜなら、「この町にはわたしの民が多ぜいいる」からだというのです。この肉欲で退廃しているコリントの町にも、わたしの民となるべき多くの人がいるのだから、語り続けなさいと主はパウロを励まされたのです。

この励ましを受けたパウロは、1年半、腰を据えて伝道し、コリントの教会が誕生しました。

 

神様は、私たちの思いを超えて働かれるお方です。マイナスに思えることもプラスに変えることのできるお方です。私たちも、「この町にも私の民が多ぜいいる」ことを覚えて歩んでまいりましょう。