2018年12月24日イブ礼拝メッセージ

ルカによる福音書第2章1節~7節

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

 

「クリスマスって何の日?」

 

12月25日はクリスマス。12月に入ると、クリスマスツリーが飾られ、夜はイルミネーションが輝き、街はクリスマス一色になります。あちらこちらでクリスマス会がもたれます。

では、クリスマスって何の日なのでしょうか。

子供たちに「クリスマスって何の日?」と尋ねると、いろいろな答えが返ってきます。「プレゼントをもらう日~!」「ケーキを食べる日~!」「サンタクロースが来る日~!」「サンタクロースの誕生日!」…

クリスマスという言葉は、クリスとマスがつながった言葉です。クリスはクリストス、つまりキリストという意味、マスは礼拝という意味です。つまり、クリスマスはキリスト礼拝という意味なのです。

 

1. キリストの誕生

クリスマスは、イエス・キリストの誕生を記念し、お祝いする日として知られていますが、聖書の中にはイエス様が〇月〇日に生まれたということは書かれていません。

では、なぜ12月25日にするのでしょうか。

12月25日は異教の“太陽の誕生の祭り”が行われた日でした。クリスチャンは、それに対抗して“義の太陽の出現を祝う日”としてキリストの誕生を記念してお祝いしたと考えられ、恐らくローマから広まっていったようです。

「きよしこの夜」というクリスマスの歌はご存知かと思います。今、世界で最もよく歌われるクリスマス・キャロルの一つです。この歌は、イエス様の誕生の状況を素晴らしい歌詞で表現しています。

 

1. きよし この夜 星はひかり

  すくいのみ子は まぶねの中に

  ねむりたもう いとやすく

2. きよし この夜 み告げうけし

  まきびとたちは み子のみ前に

  ぬかずきぬ かしこみて

3. きよし この夜 み子の笑みに

  めぐみのみ代の あしたのひかり

  かがやけり ほがらかに

 

ここで今回の聖書の箇所を振り返ってみましょう。

皇帝の勅令に基く住民登録のために、マリヤとヨセフはガリラヤの町ナザレから、ユダヤの町ベツレヘムに旅をしました。ナザレからベツレヘムまでは約150 km、3日の道のりです。エルサレムへの巡礼に慣れていたユダヤ人にとっては、さほどの長旅ではありません。しかし、臨月を迎えていたマリヤにとって、それは大変な旅だったに違いありません。ようやくたどりついたベツレヘム。当時、この町にどれほどの宿泊施設があったのかは分かりませんが、住民登録のための滞在者で、どこの宿屋もいっぱいでした。空いていたのは家畜小屋。そこでマリヤは出産。「マリヤは月が満ちて初子を産み、布にくるんで飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」と記されています。

神の子であるお方が、そんな貧しい姿でこの地上に生まれてくださったのです。どうして王宮でなかったのか。富豪の邸宅でなかったのか。せめて…。でも、その貧しさの中に神の御子が誕生することこそ、それこそが神の御計画でした。

人の貧しさの中に身を置かれた方こそ、私たちを救うことができる。どのような人をも救うことができるのです。「主は富んでおられたのに、あなた方の為に貧しくなられた」(コリント人への第二の手紙第8章9節)とある通りです。

貧しさに包まれたイエスの誕生を最初に知ったのは、当時の教会の底辺に生きる羊飼いたちでした。喜びの訪れを御使いによって知らされた羊飼いたちは、飼葉おけに寝ている嬰児を探し当て、ぬかずきます、かしこみて。

実に「きよしこの夜」の讃美歌は、主の誕生の出来事を思いめぐらしつつ、味わいながら歌うと、心に深く響いてきます。

 

2. 讃美歌「きよしこの夜」の誕生

さて、この歌はどうして誕生したのでしょうか。

今から200年前、1818年のクリスマス・イブのことです。

オーストリアのオーベンドルフという小さな村にある教会のオルガンが壊れてしまいました。巡回のオルガン修理士が村に到着するのは、次の週です。クリスマス礼拝には間に合いません。教会のオルガニストであり、小学校の教師でもあるフランツ・グルーバー(31歳)と神父のヨーゼフ・モール(25歳)は、頭を抱えてしまいました。ヨーゼフ・モール神父は貧しい家の生まれで、教会の善意で神父になる訓練を受け、就任してまだ間もない頃でした。ですから、その年のクリスマスを特別なものにしたいと願ってきました。それがいよいよ24日という日になって、オルガンが使えないというのです。

ヨーゼフはギターを持っていました。

もし、クリスマス前夜の神聖さをうまく表現する簡潔な歌詞があり、それにギターだけでも十分なメロディーがつけられれば何とかなるかもしれない。そう思った瞬間、歌詞がほとばしり出ました。そこいらにあった紙きれをつかむと歌詞を書き上げ、その短い詞をオルガニストのフランツに見せました。

「この詞にギター用のメロディーをつけてもらえないだろうか。」

イブの日も午後になってからです。でも、フランツは答えました。

「よし、やってみよう!」

やっと曲ができたのは、もう聖歌隊が集まり始める時間でした。曲全体を教える時間はありません。ヨーゼフとフランツはデュエットで歌うことにし、聖歌隊には最後の行だけ繰り返してもらうことにしました。

会衆は、ギターに合わせて歌う若い新任神父のテノールと、オルガニストのバスの歌声、聖歌隊の最後の行の繰り返しに強く心を捕えられ、礼拝が終わると多くの人がメロディーを口ずさみながら教会を出ていきました。

数日後、オルガンの修理士がオーベンドルフに到着しました。人々はその時もまだこの曲を口ずさんでいました。修理士は詩も曲もたいそう気に入って、すっかり覚えてしまい、行く先々の町で演奏して見せたのです。

オルガンのないクリスマスのために、急遽自作自演した歌が、やがて世界で最も親しまれるクリスマス・キャロルになろうとは、ヨーゼフ・モールもフランツ・グルーバーも夢にも思わなかったことでしょう。

1859年には、ドイツ語の原詞が英訳されることでさらに広まり、これまでに140ヶ国語に訳され、1995年には、ユネスコにより無形文化遺産に認定されています。日本語に訳されたのは1931年です。以来、素晴らしい日本訳で親しまれています。

 

3. 神が人となられた

しかし、日本語訳にはない大切な言葉が原詞にはあるようです。もともとは6節まであり、そのうちの素晴らしい一説を紹介しましょう。

 

静かな夜 聖い夜

世界に救いをもたらした夜

黄金に輝く天から

神は最高の恵みを見せたもうた

人間の姿をなられたイエスを

人間の姿となられたイエスを

 

神であるお方が人となって地上に来られ、生まれてくださった。しかも、家畜小屋で。客間には彼らのいる余地がなかったのです。

私たちは人となって地上に来てくださったお方を、心のどこに迎えているでしょうか。

 

クリスマスとはキリスト礼拝という意味だと最初に申しあげました。私たちが心の客間、一番大切なところにイエス・キリストをお迎えし、このお方を礼拝することが本当のクリスマスです。「客間には彼らのいる余地がなかった」と記されています。

私たちの心の客間はどうでしょう。心の客間を占領しているものは何でしょう。

イエス・キリストを心の客間にお迎えするために、心の客間を占領している罪を悔い改め、主をお迎えいたしましょう。

そして、心いっぱい主の御降誕をお祝いいたしましょう。

 

※讃美歌「きよしこの夜」の誕生に関しては諸説がありますが、今回は以下のことを参考にいたしました。

「きよしこの夜」ものがたり 大塚 野百合 著

「とっておきのクリスマス」 ガイドポスト編 佐藤 敬 訳