新約聖書「使徒行伝」第16章24節~36節
「あなたもあなたの家族も救われる」
紅葉の美しい季節となりました。
主人が召されて4ヵ月が過ぎたわけですが、最近、つくづく思うことは、主人の代わりはできないなあということです。そんなことは分かり切ったことなのに、自分の中に、主人の代わりをしなきゃあいけないという思いがあることに気づかされ、“分に応じて生きよ”と神様に言われているような気がしました。
聖書にこうあります。
「ただ各自は主から賜った分に応じ、また神に召されたままの状態に従って歩むべきである。」(Iコリント7:17)
私は自分に与えられた分に応じて生きたらいい。そう思ったら、心が楽になりました。今回も主から賜った分に応じて、自分なりに精いっぱいのメッセージを伝えさせていただきたいと願っています。
1. 女どれいの癒し
いよいよキリスト教の舞台は、小アジアからヨーロッパ大陸に移っていきます。そのヨーロッパ伝道の最初の拠点として選ばれたのが、マケドニヤ州第一の都市ピリピでした。そして、その伝道の最初の実がルデヤでした。
彼女はキリストを信じ、家族と共に洗礼を受けると、早速家庭を開放して伝道者たちを迎え入れました。ピリピ伝道は、このルデヤの家を根拠地として展開されることになります。
ルデヤの犠牲的な献身から始まったこの教会には、そのような献身的な気風が初めから植えつけられていたようで、その後もパウロの伝道を助ける献金を送っていた愛の教会であることが、ピリピの教会に宛てた手紙によってわかります。(ピリピ4:15~16)
しかし、ピリピでパウロが体験したのは、良いことばかりではありませんでした。またもや迫害の火の手が上がり、パウロとシラスは投獄の憂き目を見ます。その発端となったのは、ピリピで救われた第二の人物である“占いの霊につかれた女どれい”でした。
この女どれいの主人たちは、彼女の占いを利用して金儲けをしていました。パウロたちがルデヤの家から祈り場へ向かう途中、この女どれいに出会いました。それからというもの、彼らの後を追いかけて、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、あなたがたに救いの道を伝える方だ。」(同17)と叫び続け、それを幾日も繰り返してやめませんでした。
そのような状態がいつまでも続くことに困り果てたパウロは、その霊に向かって、「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」(同18節)と命じました。すると、たちまち汚れた霊は出ていき、この女は癒されたのです。女どれいは癒されましたが、彼女の主人たちは金儲けの手立てを失い、その忌々しさからパウロとシラスを捕えて訴えました。
しかし、この主人たちがした訴えは、この女の癒しに関わることではなく、「この人たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、わたしたちローマ人が採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです。」(20~21節)という、非常に漠然としたものでした。この告訴には、明らかに人種的な偏見がうかがえます。ちょうどそのころ、クラウデオ帝がユダヤ人をローマの町から退去させる勅令を出していた時期でしたから(第18章2節)、ローマの植民地であるピリピでも、反ユダヤ主義とローマ一辺倒の市民が多くいました。そのことを計算に入れて、女どれいの主人たちはこのような訴え方をしたものと思われます。
彼らの計算は図に当たり、パウロとシラスを排斥する気運が高まり、長官たちは、パウロとシラスを裁判にもかけないで捕え、着物をはぎとり、鞭で打つことを命じました。
2. パウロとシラスの投獄
二人は、こうして鞭打たれ、一番奥の牢(恐らく地下牢)に入れられ、足枷をはめられてしまいました。汚れた霊に憑かれた、可哀そうな一人の女性を助けてやったというのに、パウロとシラスは湿った、不衛生極まりない、真っ暗な牢獄に入れられてしまいました。こんな不当な仕打ちはありません。
しかし、二人は自己弁護も何もしませんでした。背中には血がにじんでいます。その痛みと不自由さの中で、なんと彼らは神に祈り、賛美していたというのです。この後、大地震が起こって、獄舎の戸がすべて開くという奇跡が起こるのですが、その奇跡以上に、このような状況の中における祈りと賛美こそ、真に奇跡というべきです。どんなに堅固な牢であっても、キリストにあって抱いている彼らの喜びを閉じ込めることはできませんでした。
一筋の光も入らない牢獄の暗闇の中にいても、彼らの心は闇に覆われることがなかったのです。彼らの祈りと賛美は、牢獄を天の礼拝の場に変えてしまいました。彼らの心に与えられている光は、真夜中の闇を突き破って牢を照らしました。
呪いと不平がこだましていた獄舎に、神を賛美する喜びの声が響いてきた時、他の囚人たちはそれに静かに聞き入っていました。
環境や状況に支配されるのではなく、逆に、その環境や状況を支配し、変えてしまう力、それがクリスチャンに与えられた特権であることを知るのです。
二人の伝道者たちの力に満ちた祈りと賛美に、神が応答されたのでしょう。突然、大地震が起こり、獄舎の土台が揺れ動いて扉が開いてしまっただけでなく、皆の鎖までもが解けてしまいました(26節)。目を覚ました看守はこれを見て驚き、てっきり囚人たちは逃亡してしまったものと早合点し、責任を感じて自殺しようとしました。
しかし、不思議なことに、実際には誰も逃げてはいませんでした。
3. 看守とその家族の回心
恐らく、二人の伝道者たちの穏やかな態度を見て、他の囚人たちもこれは何らかの神の応答であることを感じ取り、めったなことはできないと思ったのではないでしょうか。パウロはすぐに「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らずここにいる。」(28節)と叫んで、看守を思いとどまらせました。
看守は、地震で扉がみな開いてしまったことより、このことにもっと驚きました。手にしていた明かりで獄内を照らしてみると、鎖も外れて完全に逃亡できる状態にあった囚人たちが、一人も逃げようとせず、皆そこにいるではありませんか。
看守のこれまでの経験からすれば、こんなことはとてもとても想像できない情景です。
彼は「パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏し」(29節)、二人を外に連れ出して、「先生がた、救われるためには何をしなければなりませんか」(30節)と問うたのです。
「先生がた」と訳されている言葉は、直訳すると「主たちよ」であり、最大の尊敬を表す呼びかけと言えます。
看守にとって、パウロたちはもはや囚人ではなく、尊敬すべき「先生」でした。囚人たちの、脱獄したいという衝動を静めることのできる伝道者たちの内に、侵しがたい神的な何ものかのあることを感じ取ったのでしょう。「救い」への真剣な求めは、それを語る者への信頼や尊敬と無関係ではないことを思わされる言葉です。
パウロとシラスがこの求道者に与えた答えは明快でした。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(31節)
看守が言う「救い」とは、囚人脱走の責任追及からの救いなのか、あるいは自殺寸前に垣間見た、神の裁きからの救いを意味していたのか、明らかではありませんが、伝道者たちは、主イエスによる魂の根源的な救いの方法を示したのです。それは主イエスを信じること以外の何ものでもありません。簡単といえば簡単です。
しかし、“主イエスを信じる”ことは3つのことを含んでいます。
第一に、主イエスを信じることは悔い改めを含んでいます。ペンテコステの日、ペテロの説教に心を刺された人々が、「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねた時、ペテロは、「悔い改めなさい」と言い、信仰のしるしとして、バプテスマを受けるように勧めています。
罪の自覚と悔い改めなしに、罪からの救い主としての主イエスを信じるということはあり得ません。
第二に、「主イエスを」とあるように、ナザレのイエスを救い主と信じ、このイエスこそ人生の主であるという信仰を告白することです。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせて下さったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)と言っている通りです。
第三に、「主イエスを」という言葉を直訳すると、「主イエスの上に」となります。つまり、信じるとは、主イエスの上に身を置くこと、すなわち、自分をイエスにお任せする、委ねるという行為を意味しています。単に口で告白するだけでなく、日々の生活において、主にのみ土台を置き、主を信用しきって生きる生き方を、「主イエスを信じなさい」という言葉の中で語っているのです。
「主イエスを信じなさい。」
つまり、悔い改め、イエスを人生の主であると告白し、主にのみ土台を置いて生きる。そうするとき、その人は救われるのです。
さらに、その人が救われるだけではなく、その救いは家族にも及んでいくのです。
もちろん、家族の一人が救われたら、あとは自動的に救われるという意味ではありません。やはり、各々が個人的に主イエスを信じなければなりません。それでも、家族の一人が救われると、それば家族の救いの端緒となることは確かです。
私自身は、高校一年生の時、クリスチャンのキャンプでイエス・キリストを私の人生の主として心に迎えました。そして、木場深川教会に導かれ、翌年洗礼を受けました。私にとって、家族の救いは心からの願いであり、祈りでした。でも、私の歩みは両親にとって理解しがたいものだったと思います。
家の手伝いもせずに教会に入り浸り、やがて、牧師になると言って、自分たちの知らない世界に行ってしまった娘を、きっと両親は心配したことでしょう。
私自身は、親孝行らしいことは何もできず、自分が牧師として生きることに精いっぱいでした。
娘時代はよく弟と喧嘩し、母に対しては反抗的だった私は、「これでもクリスチャン?」と言われるような者でした。
でも、やがて年を重ね、父は目の手術をきっかけに、88歳で受洗し、25日目に召天しました。
母も、その9年後に受洗に導かれ、98歳で天に召されていきました。
両親の救いは、母教会の牧師夫人の御労と、教会の祈り、そして、ただただ神様の憐れであったと思います。
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも、あなたの家族も救われます。」と約束してくださった神様の御真実に、心から感謝しております。
結び:家族の救いのために祈り、労していきましょう。
「主イエスを信じなさい」との言葉を受け入れた看守とパウロの二人、もはや二人の関係は、看守と囚人という関係ではなくなりました。何よりも人生における生き方を、唯一の神において見出そうとする人間の関係でした。
看守は二人を自分の家に引き取り、囚人である二人を人生の師として迎え入れるとともに、傷ついた背中を洗い流しました。そして、二人の伝道者を通して、全家族が救いのしるしとしてバプテスマを受けました。そして、全家族そろって神を信じたことを心から喜びました。
これがピリピにおける3番目の救いの実例です。
私たちにとっても、家族の救いは大きな課題です。
家族の救いのために祈ってまいりましょう。