2018年10月28日のメッセージ

伝道の書第4章9節~12節

 ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。

 

「三つよりの綱」

 

 今回は、三田泉教会との合同礼拝でした。午後から黒枝豆の収穫に預かりましたが、その前に豆ご飯を昼食にいただきました。聖書の御言葉は心のご飯です。神様はどのように調理して私たちの心に届けてくださるでしょうか。心を開いて、聖書の御言葉に耳を傾けてまいりましょう。

 

1. 伝道の書

 上記の「伝道の書」は、イスラエル王国3代目の王様であるソロモンが書いたといわれています。ソロモンは、偉大な父ダビデ王の跡を継ぎ、年若くして王位に就きました。そして、ある夜、夢を見ました。夢の中で神様がソロモンにこう言われるのです。

「あなたに何を与えようか、求めなさい。」(列王記上3:5)

 欲しいものがあれば、なんでも与えよう、願いなさい、求めなさいと言われたら、私たちは何と答えるでしょうか。

 ソロモンは、神様にそう言われて、こう答えたのです。「私はあまりにも未熟です。でも、このイスラエルの民は多くて複雑です。どうか、この民を治めるために知恵をください。善悪をわきまえる心、聞き分ける心をください。」

 彼は神様に富や名声を求めたりせず、知恵を求めました。その願い、そのようなソロモンの思いは神の心に適い、神様は、「よろしい、賢い英明な心と、知恵ばかりでなく富と誉も与えよう」とおっしゃいました。そして、その約束を実現されました。

 ソロモンは、頭は良い、お金はある、社会的地位は最高(王様ですから)、無いものなしです。さぞかし幸せな人生を送ったであろうと思いきや、彼が書いたといわれるこの「伝道の書」を読むと、どうもそうではないらしいのです。

 第1章の冒頭から何と書いてあるかといいますと、「空の空、いっさいは空」(1:2)ああ、空しいという、深いため息が聞こえるような言葉で、この書は始まります。この後も「空」と訳される言葉が繰り返し34回も出てくるのです。実に彼は悩める人でした。

「知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増す」(1:18)と告白しています。

 何を持っても、何を得ても、結局みんな死ぬじゃないか、死んだら終わりだ。ああ、なんて空しいんだろう。人は一体どうやって生きたらいいんだ。結局死ぬのに、なぜ人は生きなきゃならないんだと、彼は悩んだのです。そして、人生の意味を探求し、真理を求めたのが、この「伝道の書」です。

 やがて彼は、神から与えられた知恵によって、神の知恵に到達します。神なしの人生の空しさから、神を求める人生にこそ意味があることを見出していくのです。この「伝道の書」の最後に、「神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本文である。」(12:13)と彼は書いています。これがこの書の結論です。だから、「あなたの若い日に、あなたの作り主を覚えよ。」(12:1)と勧めます。

 これは永遠に至る知恵です。ソロモンは、神から与えられた知恵によって、この永遠に至る知恵に到達しました。

 実際、私自身、高校生の時、人は何のために生きるのか、死んだらどうなるのか、そんな思いの中で神と出会い、人は神と人のために生きるという人生の目的を与えられて生きてきました。

 

2. この世にあって生きる知恵

 永遠に至る知恵をいただき、神とともにこの世にあって生きるために必要なのは、人と人とが支えあう生き方です。最初に記載した9節から12節まで、そこには人生を旅になぞらえ、共に生きる知恵が私たちに示されていると思います。

 まず9節に、「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。」とあります。

 星野富広さんという、脊髄損傷で首から下が動かなくなり、口で筆を咥えて詩や絵を描いている方が、こんな詩を書いています。

「何もしたくない、誰にも会いたくない。

 しゃべりたくもない。野に咲く花のように静かに一人でいたい。

 しかし、腹が減った。残念だが、腹が減ってしまった。」

という詩があります。

 私たちは彼のように体が不自由なわけではないかもしれませんが、一人では生きていけません。

 さらに、「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。」(10節)と書いています。

 人は、挫折し、失敗し、過ちを犯すのが常です。不慮の災難に遭って倒れてしまうとき、助け起こし、慰め、励まし、力づけてくれる、そういう友、そういう人がいないのは、本当につらいことです。そして、「ふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。」(11節)と記されています。

 パレスチナの昼は熱く、夜は冷え込みます。人々は夜寝る時、それぞれ身にまとう唯一の衣服である上着で身を包んで寝ます。特に冷えるときには、2枚の上着によって暖を取る、そういう必要のあるときには、銘々の上着を重ねて共に横になるのです。寒い夜に暖めあえる友がいれば、旅も心強いというのです。正に人生はそのようなものでありましょう。喜びは分かち合うと倍になり、悲しみは分かち合うと半分になるとよく言われます。

「人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。」(12節)

 この当時、旅は非常に治安が悪かったので、旅行者を襲う強盗たちも多かったといいます。しかし、一人では大変ですが、二人なら立ち向かえる。人生の旅路における様々な苦難や困難がやってきても、親しい友が助けてくれるとき、本当にそれは大きな力となっていきます。

 

3. 1+1=3?

 そして、最後に、「三つよりの綱はたやすくは切れない。」とあります。これは、支えあって生きる知恵を表す、素晴らしい表現です。私はこの9節から12節を読みながら、考えました。「ふたり」「ふたり」「ふたり」と書いてあって、最後に「三つよりの綱はたやすくは切れない。」…2,2,2できたのに、どうしてここで3になるのだろうと思ったのです。1+1=2なのに、どうして3なのだろう。その時、パッとひらめきました。「そうだ、3番目はイエス様、聖霊なるお方だ!」と。

 私と友と第3の人、イエス様。このお方が目には見えないけれど、人と人との交わりに、もう一本の糸として織り込まれるとき、その交わりは更に強固なものとなります。イエス様という、無限大の糸に、私たちの細い糸が織り込まれるのですから、1+1=3、いや、1+1=無限大かもしれません。クリスチャンとクリスチャンが心を合わせるとき、牧師と信徒が心を合わせて祈って事を成すとき、教会と教会が心を合わせて事を成すとき、そこには無限大の神の業が展開されていくのではないでしょうか。

 三田に「プラスワン」というスーパーがあります。私はいつも思うのです。クリスチャンの世界はプラスワンです。毎日の生活の中で、目に見えないイエス様というお方を計算に入れて生きる。プラスワンの人生は、もしかしたら、プラス無限大になっていく素晴らしい人生ではないかなあと思います。

 この「プラスワン」、いえ、プラス無限大の御業についてお証をしたいと思います。

 

共同牧会へのスタートと宝塚開拓

 私たち夫婦が四国から大阪の豊中泉教会に遣わされたのは、1981年、今から37年前のことです。この頃、宝塚に2組のクリスチャンホームがありました。だいたい車で30分から40分くらいの距離にあるのですが、N兄姉という方とW兄姉という方です。N兄姉は私たちの教会に来られ、W兄姉は高槻の教会に通われていました。N姉が、ある秋の日、庭の落ち葉を掃いておられました。広い社宅で、庭に立派な木がありまして、すごく落ち葉が落ちるのです。見事に紅葉した葉が本当に美しく、しばし見とれるほどでした。でも、何日か経つと、その落ち葉が真っ黒に汚くなっていたのです。それを見た時、彼女はハッとしました。この落ち葉のように神様を知らないで滅んでいく人がたくさんいる。何か電気に打たれるように衝撃を受け、思わず立ちつくしたか座り込んだか分かりませんが、その時に御言葉が響いてきました。「この町にもわたしの民が大ぜいいる。」そういう神様の御言葉を頂いて、彼女はその時から祈り始めました。そして、2家族が協力して、家庭集会と祈り会を始めました。やがて、人が集まるようになり、救われる人も起こされていきましたが、宝塚にホーリネス教会がないために、西宮とか他の教会に委ねたのです。そこで、宝塚にもホーリネス教会が欲しい、そのような願い、祈りが起こされました。それは「豊中泉教会」の祈りとなり、ビジョン委員会が開かれて、宝塚に開拓伝道を始めようということが決議されました。それが週報に載り、祈りが始まったわけです。

 それから間もなくして、一人のおばあさんが私たちを訪ねてこられました。2回が牧師館で下が会堂だったのですが、階段をトントンと上がってこられまして、「先生。」と呼ばれました。私は風邪をひいて寝込んでいたのですが、どうしたのかと思って、狭い台所にお招きしてお話を伺いました。すると、その方が、「宝塚に土地があるから寄付するわ。」とおっしゃるのです。「えっ、ほんまかいな!」という感じで、信じられない気持ちでした。というのも、彼女は古い長屋風の集合住宅に住んでおられる方でした。一人暮らしの気の毒なおばあさんという感じでしたが、実はその集合住宅全部が彼女の持ち物であり、さらに複数の土地を所有しておられて、その中の、宝塚にある一番広い土地を捧げるとおっしゃるのです。よくよくお話を聞いてみますと、その土地は、お金をもらっても欲しくないというような土地だったそうですが、ある方から買ってほしいと頼まれ、ここに教会が建ったらいいなあと、そんな思いを持たれてその土地を買われたそうです。やがて年を経て、その土地の値打ちも非常に高くなりました。そして、そこを捧げてくださったのです。

 そのことから、宝塚開拓のビジョンが急速に現実のものになり、伝道が開始されていきました。牧師が遣わされて、会堂が建てられ、やがて2期工事を経て、三田を開拓するまでに至ったわけです。2つの家族が心を合わせ、また信徒と教会が心を合わせて事を成すとき、そこに織り込まれた無限大の糸は、私たちの常識を超えて神の業を展開していきます。本当に一つ一つのプロセスを考えるときに、神様がなさったこととしか言いようのない驚きを感じております。実に、「共に生きる」、これは神が与えてくださったこの世にあって生きる知恵だと思うのです。

 

結び:プラスワンの恵みに生きよう

 私たちの教会は、今4つの教会が協力し、伝道・牧会をしています。三つよりの綱は簡単には切れません。互いの絆を大切にし、教会と教会が心を合わせ、イエス様とともにプラスワンの恵みに生きてまいりましょう。