2018年10月7日のメッセージ

使徒行伝第16章6節~10節

 それから彼らは、アジヤで御言葉を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方を通っていった。そして、ムシヤの当たりに来てから、ビテニヤに進んでいこうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。ここで夜、パウロは1つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください」と、彼に懇願するのであった。パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神が私たちをお招きになったのだと確信して、私たちは、直ちにマケドニヤに渡っていくことにした。

 

「進路変更」

 

 秋は台風シーズンですが、実りの秋でもあります。三田の教会の周りの田んぼも、稲が刈り取られ、新米が収穫されています。体のご飯も楽しみですが、今回はどんな心のご飯が用意されているのでしょうか。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである(マタイ4:4)とありますように、魂の糧、心のご飯である神の御言葉に耳を傾けてまいりましょう。

 

1. 第2回伝道旅行

 パウロとバルナバによる第1回伝道旅行は、大きな成果を収めました。ガラテヤやアジアでキリストを信じる者が起こされ、教会が誕生しましたが、クリスチャンたちは迫害に直面し、教会の内部にも混乱がありました。パウロはいつも自分たちが伝道した人たちのことが気になって仕方がありません。

 そこで、バルナバを誘い、第2回目の伝道旅行に行こうとしました。しかし、途中で逃げ出したマルコを連れていくかどうかで意見が対立し、パウロとバルナバは袂を分かちます。

 パウロはシラスを連れて陸伝いにキリキヤへ、バルナバはマルコとキプロス島に渡りました。

 パウロはまず、デルベ、ルステラへ。ルステラでテモテという忠実な弟子を得ることができました。

 パウロはさらに進んで、小アジア西部のアジア州で伝道しようと計画していました。ところが、一行は予定変更、進路変更をします。この計画は、「聖霊によって禁じられた」というのです(使徒行伝16:6)。

 もし、そのまま西へ進んでいけば、そこにはコロサイ、ラオデキア、エペソもあります。エペソは、アンテオケとよく似ていて、活動的な住民と多くのユダヤ人がいるギリシャ風の大都市です。しかし、パウロは聖霊の命に従い、アジア宣教を断念して北上し、ムシヤの近くまで来ました。そして、ビテニヤに入って伝道しようとしましたが、再びイエスの御霊がこれを許さなかった(使徒行伝16:7)のです。

 そのため、彼らは再度予定を変更し、進路を西にとらざるを得なくなりました。そして、御霊の導きに従い、ムシヤを通過してトロアスに下っていきました。トロアスは、マケドニヤに向かう船便もある港町でした。

 さて、アジア州で“御言葉を語ることを聖霊に禁じられた”とか、ビテニヤ州へ行くのを“イエスの御霊がこれを許さなかった”というのはどういうことなのでしょうか。

 具体的には、それが聖霊からの直接的な語りかけとしてあったものなのか、あるいは何らかの事情で計画通りにいかなかったことを、彼らが聖霊による禁止と受け止めたのか、定かではありません。どうも、パウロに持病の発作が起きて、かなり悪い状態だったのではないか…という説もあります。それで、辺鄙なアジア北部を避けて、一先ず医者もいるトロアスに向かったのであろう、そしてトロアスに着いて、出会った医者がルカでした。

 ルカは、「ルカによる福音書」と「使徒行伝」の著者です。

 ルカは医者、パウロは患者。でも、ルカはパウロと出会ってキリストを知りました。これは、ルカの生涯にとって決定的なことでした。そして、ルカもまた、大きな進路変更(予定変更)をして、パウロと共に伝道旅行に出かけていくのです。

 ルカはヨーロッパの人でした。トロアスの海一つ隔てた向こうは、ヨーロッパのマケドニヤです。パウロはルカを通して、何度もマケドニヤのこと、ヨーロッパ全体のこと、大都市ローマのことを聞いたことでしょう。そして、パウロの心に、ヨーロッパにキリストを伝えるために行く幻が与えられていったのではないでしょうか。

 

2. トロアスで幻を見たパウロ

 パウロはある夜、夢の中で幻を見ました。

 一人のマケドニア人が、「マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください」と言って、しきりにパウロに頼んでいるのです。幻という言葉は原語で「ホラマ」、原形は「ホラ」です。意味は、「見る」とか「出会う」。パウロは、マケドニア人の夢を“見た”のです。それは、トロアスでルカに“出会った”からです。出会いは人を変えます。そして、出会いは人に幻を見させてくれます。そして、出会いは世界をも変えていくのです。

 でも、一方、夢や幻ははっきりしない部分をもっています。どこかがぼやけています。夢が、もし、100%はっきりしていたら、迷うことなく、夢の指示に従うことでしょう。でも、100%はっきりしているわけではないから、私たちは見た夢について、「ああだ、こうだ」と考えるのです。パウロも同じだったと思います。しかし、彼はその幻を見て、1つの決断をします。それは、「マケドニアに渡っていこう」という決断です。すべての進路、予定を変更して、キリストを運んでいくよう招かれていることを信じて、マケドニアに渡っていこうという決断です。神様が、「マケドニアに行け!」と命じたのではない、パウロ自身が、これが、神が今、自分に語っていることだと信じたのです。

 

3. 進路変更

 第2回伝道旅行の目的は、バルナバと回った第1回伝道旅行の跡を辿るということでした。しかし、その計画は全く変えられてしまいました。

 神様は平気で人の予定や計画・進路を変更してしまう方のようですね。

 この世の中では、予定を変更せず、自分の作った計画通りに歩む人が評価されます。でも、人生には進路変更・予定変更をせざるを得ないことがあることも事実です。自分の弱さや失敗で、予定を変更せざるを得ないことも少なくありません。そんなとき、進路変更、予定変更は後退や敗北と評されたりもします。そして、予定通りに着々と歩んでいる人を見ると、うらやましくなってしまいます。

 しかし、予定変更しない人は立派ですが、冷たい感じもします。むしろ、予定を変更する人こそ、優しさや愛を感じることが多いのです。

 私自身、自分の人生を振り返り、大学受験の失敗、失恋など、何度か大きな進路変更をしています。予定変更はつらいことです。深い落ち込みもあります。しかし、予定変更によって「謙遜(けんそん)」ということを学ぶのです。それは、自分が設計図を書く出会いではなく、与えられる出会いに身をゆだねるという謙遜です。この謙遜は、人を新たに造り変えるのです。

 

結び:進路変更されたキリスト

 パウロは、最初は自分の弱さゆえに、急遽、予定変更をしました。それは無念なことだったかもしれません。しかし、そこに豊かな出会いが備えられていました。

 イエス・キリストは、いつも予定変更をされました。旅をしていても、いつも呼びかけられ、衣の袖を引っ張られて歩みを止めました。そして、そこで出会いがなされました。

 寄り道をし、歩みを止めたキリストに、人びとは愛を感じました。

 

「人の心には多くの計画がある。しかし、ただ主の御旨だけが堅く立つ。」

 

 私たちの人生は、思い通り・計画通りにならないことの方が多いのではないでしょうか。しかし、私たちの思いや計画を超えて、神が最善にしてくださることを信じて歩んでまいりましょう。