2018年9月30日のメッセージ


使徒行伝第15章36節~40節

幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。

 

一人にこだわって生きる

 

I. 逃げ出したマルコ

 エルサレム教会から枝分かれした、まだ日の浅いアンテオケ教会は、バルナバとパウロの指導によって、母教会をしのぐ成長を遂げていきました。

 当時、交通の要所であったアンテオケに、歴史上初めて建てられた異邦人教会がアンテオケ教会です。ここを拠点として、いよいよ本格的な世界宣教がスタートします。

 これまでは、迫害を逃れたクリスチャンたちを通して、宣教の拡大と進展がなされてきました。しかし、アンテオケ教会は、まだ福音が伝えられていない地に福音を伝えるという、はっきりした目的をもって宣教師を送り出したのです。

 断食と祈りによって神の御旨を確かめ、バルナバとサウロが後任の宣教師として派遣されました。

 二人は聖霊に遣わされて、船でキプロス島に渡ります。この伝道に助手として同行していたのが、マルコと呼ばれるヨハネです。彼はバルナバの従兄弟です(コロサイ4:10、使12:25)。

 マルコはやがて、ペテロの筆記者になったといわれていますが、このときもバルナバとサウロの説教を記録する役目を果たしていたのかもしれません。

 キプロス島では、総督セルギオ・パウロが回心します。ローマの高級官僚の入信という大きな成果を収めた一行は、船で北上し、ペルガに着きました。ところが、ここで助手として同行していたマルコが、一行から離れてエルサレムへ帰ってしまったのです。一体、何があったというのでしょうか。その原因については、何も記されていません。

① 単なるホームシックだったのか

② 急な小アジアへの旅程変更が不満だったのか

③ これから先の宣教の困難さに恐れをなしたのか

④ あるいは、従兄弟のバルナバに付いてきたはずなのに、途中でリーダーが代わってしまい、パウロの信仰や異邦人伝道についていけないと思ったのか…確かなことはわかりません。

 

 理由はどうあれ、伝道旅行の途中で逃げ出したことに変わりはありません。パウロにとって、それは納得できないことでした。マルコを欠いた一行は、ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベへと伝道し、帰途に就きました。

 いずれの地でも多くの異邦人が入信する反面、ユダヤ人からの迫害もありました。ルステラでは石で打たれて気絶し、死んだと思われ、町の外に引きずり出されたのです。もし、彼が気を失って、「死んだもの」と思われなかったら、本当に殺されていたかもしれないところでした。それでも、パウロの伝道意欲は衰えることはありませんでした。

 こうして、第1回伝道旅行は、大きな成果と意義をもって終わりました。

 

II. パウロとバルナバの対立

 最初に読んでいただいた使徒行伝第15章36節から40節には、パウロが第2回目の伝道旅行に出発しようとしている様子が記されています。パウロは、自分たちが伝道してイエス様を信じた人たちがどうしているか、気になって仕方がありません。又訪ねていって、どうしているか見てこようではないかと、バルナバを誘います。ここで、誰を連れていくかでパウロとバルナバの意見が対立して、喧嘩になってしまいました。

 というのは、バルナバは第1回伝道旅行のときのように、従兄弟のマルコを連れていきたかったのです。、でも、パウロはそれに猛反対。あんな、途中でスタコラ逃げ出すような奴はダメだ、ダメだ。二人はマルコを巡って、激しいやりとりをしました。そして、ついに互いに譲らず、別行動をとるところまでいってしまいました。

 パウロとバルナバはとても深い関係にありました。初代教会の中心人物となるパウロ、世界の歴史を動かしたパウロも、バルナバの存在なしにはあり得なかったことでしょう。キリストに敵対し、教会を荒らしまくったパウロをとりなし、面倒を見たのはバルナバでした。一時、タルソに退いたパウロを探して、アンテオケに連れてきたのもバルナバです。

 バルナバがどれほどパウロを支え、彼の手をとってきたか、そのことを一番良く知っていたのは、パウロ自身だったはずです。第1回伝道旅行でも、パウロとバルナバはコンビを組んで働き、苦楽を共にしてきたのです。

 でも、今、袂(たもと)を分かつことになりました。

 パウロはシラスを連れ、バルナバはマルコを連れて、別々の道へ歩み始めました。

 パウロとバルナバの仲たがい。これは教会にとって大きな問題です。この仲たがいを、どう考えたらよいのでしょうか。

 第一に、この事件をあまり無理に美化しようとせず、パウロとバルナバのように優れた信仰者であっても、一人の人間として、多少感情に走ることもあり得るということです。パウロもバルナバも完全な人間ではありません。(勿論、牧師もそうです。)しかし、彼らもきっと後に、このことを悔い改め、自らの信仰と人格の向上に役立つ反省材料としたに違いありません。

 第二に、これは感情的な対立というよりも、パウロとバルナバの考え方と性格の違いであると共に、伝道に対する姿勢の違いからきたものでもありました。

マルコにはマルコなりの理由があって、旅行の途中から帰ったのかもしれませんが、パウロにしてみれば、どんな理由があろうと、伝道を放棄して帰郷するような者は、伝道者として失格だとしか考えられなかったのです。それは、パウロ自身の伝道への厳しい姿勢がそう思わせたのかもしれません。パウロにとっては、個人的にマルコが気に入らないというよりも、これからの伝道旅行の困難さを思うと、どうしてもマルコを連れていく気にはなれなかったのです。一方、バルナバは、もう一度マルコにチャンスを与えてやりたいと思ったに違いありません。どちらが正しいか、間違っているかというより、二人とも自分の信じるところにおいて本気だったということです。

 第三は、人間の弱さや足りなさを超えて、神はそれさえも、いつでも益に変えて御業を進められるということです。初めの計画では、1つのチームだけで出発するはずでしたが、4人の伝道者が2つのチームとなって出発することになりました。期せずして、チームと伝道者が倍になったのですから、伝道の働きも倍増することになります。争いによって分裂したこと自体は、褒められることではないかもしれませんが、神は、そのことさえ、福音の前進に用いてくださったのです。

 

 教会とは、問題のない所、問題があってはならない所と、私たちは勘違いしてはいないでしょうか。いいえ、教会が人の集まりであれば、問題は様々な形でいつもあります。

 ある時、何かの集会で、恩師の堀内顕(あきら)先生から、「あんたんとこの教会に、何か問題はあるかね?」と訊かれたことがあります。「ハイ、あります」と答えたら、「そうか、生きてる証拠だ」と言って笑っておられました。

 教会が直面する問題は、3つに要約されます。

 ①クリスチャンの倫理性、②仲間との不一致、③誤った教えによる混乱です。

 私たちは、これらに陥らないように注意し、清められた生活を送り、互いに一致を保ち、正しい福音理解の下に教会生活を送ることが期待されています。

 そして、教会に問題があることに驚いてはなりません。問題を放置するのは良くありませんが、本当の問題は、問題があることよりも、その問題を乗り越える力があるかどうかということなのです。

 

III. 変えられたマルコ

 ここでもう一度、マルコという人物に焦点を当てたいと思います。

 マルコはギリシャ語名で、ヨハネはヘブル語名です。当時、「マルコ・ヨハネ」のように、二重の名前を使うことは一般的でした。

 マルコの母はマリヤといい、初期のエルサレム教会で中心的な役割を果たしていました。マルコの父親については記されていません。クリスチャンたちは、彼女の家に集まり、集会をもっていました。

 その家も、「マリアの家」と呼ばれていましたので、父親は早くに亡くなっていたと思われます。この家には、ロダという女中もいて、エルサレム市内に多くの人が集まることのできる家を構えていたのですから、かなり裕福な暮らしをしていたようです。

 マルコはバルナバの従兄弟でしたが、彼を直接信仰に導いたのは、ペテロだったようで、ペテロはマルコのことを「私の子」と呼んでいます。彼は幼い頃から、身近に教会誕生の出来事を目撃し、初代教会の指導者たちに直接出会い、愛され、自然とキリストに対する信仰が植えつけられていったことでしょう。

 マルコはバルナバに連れられ、エルサレム教会からアンテオケ教会に行き、そして、第1回伝道旅行に同行しました。しかし、ボンボン育ちのクリスチャン二世が、二人に付いていくのは大変だったことでしょう。理由は記されていなくても、ペルガで帰ってしまったのも分かる気がします。

 バルナバは、このマルコを何とか一人前のクリスチャンに育てたいと祈っていたことでしょう。第2回伝道旅行でパウロと袂を分かち、マルコと共にキプロス島に渡りました。バルナバの愛と忍耐のサポートもあり、その後、マルコは忠実にキリストの教会で奉仕を続け、晩年、パウロから、自分の“同労者”として認められるようになりました(コロサイ4:10~11)。パウロが死を目前にした時期には、弟子のテモテに、マルコを連れてくるように頼み、「彼は私の務めのために役立つ人物だ」と評価しています(Ⅱテモテ4:11)。

 パウロが殉教した後、マルコはペテロと“一緒にローマにいた”ことが知られています。その後のことはよく分かりませんが、エジプトのアレキサンドリアで伝道し、殉教したらしいといわれています。マルコはペテロの通訳として働き、ペテロから聴いたことに基いてイエスの生涯を「マルコの福音書」に記しました。そして、それが土台となって、マタイやルカの福音書が書かれていきます。 マルコの最大の貢献は、この福音書にあると言えます。

 このようにして、一人の人が主の働き人となるために、マルコという一人の人にこだわり、寄り添い、育てた神の器がいたことを忘れてはなりません。

 

<結び>

 慰めの子といわれるバルナバは、一人の人にこだわりました。バルナバにとって、このように一人の人にこだわって生きることが、キリストに従って生きることでした。

 バルナバとマルコ、二人だけの寂しくみえる旅にも、見えざる同伴者キリストがおられます。

 私は、逃げ出したマルコの中に自分自身を見出し、一人にこだわったバルナバの中に主イエスご自身の姿を見出します。

 イエス・キリストは、99匹の羊を野に残して、1匹を見つかるまで探す羊飼いのようなお方です。

 教会にとって大切なのは、数ではありません。それは結果であって、目標ではありません。もちろん、数も大切ですが、数にとらわれると、一人を忘れます。私たちに必要なスピリットは、一人の魂に福音を伝え、救われた人を育てることにあります。

 

コリント第1 9:22~23

弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしもともに福音にあずかるためである。

 

 私たちも、こんな私一人にこだわってくださった主イエスの心を心として、一人の魂にこだわって生きていきましょう。