2018年9月2日のメッセージ

新約聖書「使徒行伝」第13章1節~12節より

 

 使徒行伝の第13章1節は、使徒の働きの分水嶺であるとも言われ、次の3つの点で第13章以降は第12章以前と変わっています。第一に、舞台がエルサレムから港町アンテオケに移ります。これ以後の宣教活動は、アンテオケを根拠地として展開されていきます。

 第二に、宣教の主役がペテロからパウロに変わります。

 第三に、宣教の対象がユダヤ人から異邦人に移っていきます。これにより、異邦人に対する神の救いの計画が次第になされていくのです。もともとキリスト教はユダヤ人一民族のための宗教ではなく、すべての民族、すべての国民のものであることを明らかにすることが、この使徒行伝が書かれた目的です。その第一歩として、著者であるルカはまず、第一回伝道旅行を紹介するのです。

 

 先に、宣教の中心がエルサレムからアンテオケに移ったと書きました。では、このアンテオケ教会はどのような教会だったのでしょうか。

 アンテオケ教会は、エルサレムの教会の枝のような教会でした。設立されてまた日の浅い若い教会ですが、急速に成長していました。

 エルサレム教会がユダヤ人で構成されていたのに対し、アンテオケの教会にはいろいろな人がいました。使徒行伝第13章1節には、5人の名前が出てきますが、彼らはそのさまざまな人びとを代表しているようです。

 まず、バルナバという名前が出てきます。クプロ島出身のユダヤ人です。本名は、ヨセフ。バルナバとは、あだ名で慰めの子という意味であり、彼の人となりをよく表しています。自分の全財産を投げ出して教会に仕え、それまでキリスト教を迫害していたサウロを広い心をもって受け入れ、また、まだ若く未熟であったマルコを寛容な心で育てた人です。

 次にニゲルと呼ばれるシメオン。この人はアフリカ出身の黒人と推測され、もしかしたら、イエス様が十字架を背負ってゴルゴタに向かっていた時、無理に十字架を背負わされたクレネ人シモンであったかもしれません。

 3人目はクレネ人のルキオ。キリスト教における最初の殉教者ステパノの殉教を機に生じた迫害によって散らされた人々の中の一人で、エルサレムではユダヤ人以外の人々には御言葉を語らなかったものの、アンテオケに来てからギリシャ人にも伝道していた人の一人で、現在のリビアの人です。

 4人目は、国主ヘロデの乳兄弟マナエン。当時の教会を迫害していたヘロデ王の親せき、すなわち教会の敵対者の身内で、王子と一緒に宮廷で育てられた身分の高い家柄の出身だったと思われます。

 そして、最後の5人目はサウロ。小アジアのキリキアのタルソ出身で、生粋のユダヤ人であったサウロは、この第13章で名をパウロに変え、この後、使徒行伝の中心人物となっていく人です。

 

 このように、アンテオケ教会の主な指導者は、本当に種々雑多、人種や社会的地位の異なる人々でした。それぞれの政治的・文化的背景、言葉の違いなどを考えれば、難しい教会です。それに比べると、エルサレムの教会はある意味でよくまとまっていたのではないでしょうか。しかし、その後の教会の歴史を見ると、盛んに活動していくのは、難しく思われたアンテオケ教会の方なのです。エルサレム教会を一つの物に例えると、白い布。とてもきれいですが、少しでもシミが付けばあわてますし、白が変色してくると、その布は捨てられてしまいます。

 一方、アンテオケ教会は、ある牧師の言葉を借りるとパッチワークのような教会だというのです。面白い表現です。いろいろな素材、いろいろな形、いろいろな色の端切れをつないで作るパッチワークは、一つ一つの違いがそのまま生かされて美しさを作り出します。パッチワークは一つのシミでも変色した端切れでも材料となります。アンテオケ教会は、そのような”パッチワーク”教会です。多様性があります。意見の対立もあったでしょう。しかし、そんなエネルギーが外に向かわせたのです。

 異なる素材が聖霊なるお方、キリスト・イエスという糸でつながれ、自分にはない色を他の人に出してもらい、予期せぬ素晴らしい模様が出来上がっていくのです。そして、それは限りなく広がっていきます。聖霊という風を受けて出かけていき、そこでまた新しい柄のパッチワークを作っていくのです。

 

 こうして、外へのエネルギーを満たしたアンテオケ教会は、バルナバとサウロ(以後、パウロ[ローマ名で”いと小さき者”という意味]と呼称されます)を公認の宣教師として派遣しました。こうして始まった福音宣教の旅は、パウロの第一回伝道旅行と呼ばれています。

 二人がまず遣わされたクプロ島はバルナバの出身地です。その頃、島の地方総督であったセルギオ・パウロは、たいへん賢明な人で、パルナバとパウロを招いて神の言葉を聞きたいと思っていました。

 ところが、魔術師エルマがそれを邪魔しようとします。パウロは聖霊に満たされ、激しくエルマに臨みました。その結果、エルマは目が見えなくなり、総督は信仰に導かれたのでした。本格的な世界宣教の初穂は、この総督セルギオ・パウロの回心でした。

 当時のローマの高級官僚がイエス・キリストを信じる信仰に入るということは、大変な勇気と決断を要したはずです。ローマ人に義務付けられていた皇帝礼拝やローマの偶像礼拝をしないことになりますから、自分の地位や、ときには生命にまで危険が及ぶことでした。しかし、総督は敢然と入信したのです。それほどに、聖霊に満たされて伝道したパウロの言葉と業とには力があふれていたのでしょう。

 

 私たち一人一人も、神からそれぞれの持ち場、立場に遣わされています。この週も家庭、仕事、その他自身が遣わされた場所で聖霊に導かれ、こつこつ生きてまいりましょう。